動物化の先

昨年末あたりから、web2.0的な?コミュニケーションのあり方(既に言葉の定義もあやふや)やそれに伴う社会とか個人とかの事が頭の中をかけめぐっていまして、その間に誰もが自分自身の考え方の一種の踏み絵として立場表明せざるを得ない(みな苦労して半ば責任を果たすかのように、発言されているような気も。。)ホリエモンショックがあったり、転職などの個人的契機もあり、あれこれ悶々と考えていたりしてちょっと頭の中がスパゲティ状態です。できるだけ読む人を意識して日記を書くように努めますが、ちょっと独白系かもしれませんので、すみません。。

まず季刊InterCommunication No. 55 2006 Winterで考えの整理の軸を頂きました。
今回の特集はISedという研究団体のメンバが結構中心となって執筆しているようです。(このISed自体キーワードリンク機能を持ったはてなで議事録を作成する事で、曖昧なキーワードの定義やそのハイパーリンク関係を提示していくといった非常に興味深い試みです。ちょうど討議で出た仮説内容を同時進行でプログラム言語化していっている感じと言ってよいのでしょうか??)さて、web2.0というやっかいな言葉の出てきた背景を整理すると「技術的にも社会的にもインターネット創世記にあったそもそもの諸概念がいよいよリアルに胎動しつつある空気を捉え、それこそ創発的に盛り上がってきている」概念だと思っています。ネットから半歩遅れで紙媒体各誌はじめマスメディアも昨年末あたりから次々と特集を組んでいる訳ですが、上記特集はInterCommunicationらしく技術と社会的観点からの現状認識と課題提示がうまく編集されております。

その中でも印象に残ったのが以下3つの記事。

XMLの文体と新しい社会契約論(7):構成的社会契約試論」 鈴木兼
Isedの研究員でもある鈴木兼さんのエキサイティングな試論です。詳細な内容はご興味があれば是非、一読して頂きたいところです。blogに公開されてます。XMLについては私自身も決して明るくはないのですが構造化された言語(意味が一意に定義された言語?)と読み替えるだけでも大意はかなり理解できると思います。

メディアの未来を再構築する 渡辺保
智財創造ラボ情報デザイン入門―インターネット時代の表現術 (平凡社新書)などで有名な渡辺さんのエッセーです。

記憶産業/記憶のテクノロジー
特集外のインタビュー記事ですがベルナール・スティグレール
という仏の哲学者のインタビュー記事です。


上記3つに関しての自分として共通して興味あるポイント(つまり悶々としている事)は多様性を失わない新しい社会のゆくえです。なんだか大げさですが・・前提となるgoogleに代表されるように技術的・社会的インフラはますますネットワーク化されるなか、社会の多様性をどのように保てるのか?という事です。(北朝鮮に代表されるような可視可能な権力による均質化ではない新たな均質化への脅威です)

上記3つの記事のそれぞれの視点は下記。要約にすらなっていないですが・・

鈴木さん>今後の課題として結論は出していません。が、構成的社会契約という技術的、社会的な流れの方向性が非常に興味深く、考えるベースとしては一番興味深い試論でした。
渡辺さん>EPICの様な世界、いわゆるフラットな世界の回避策としていくつかの軸を提示しています。いづれの共通点も「引き出す」と「繋げる」デザインだとしています。
ティーグレール>知や文化の発展にはネゲントロピーがかかせず、googleに代表さえる検索システムは非常にエントロピー的なものだという指摘です。

と、まぁそんなような議論などを頭の中をざっと一旦通過させた上でそもそもコンピュータってなんなの?というところに一旦興味を持ちました。深堀りしすぎるくせです。で、数式や技術系は苦手にも関わらず甦るチューリング―コンピュータ科学に残された夢を読んでみました。が〜ん・・早々に数式に挫折し斜め読み。なのですが、チューリングの功績、AIの概念なんとなくなど結構発見はありました。面白いと思える程度にはキャッチできました。で、最大の発見はアナログです。恥ずかしながら今までアナログコンピュータって知りませんでした。なんかそこに可能性がある気がしてならない。そういえば、粒子は波動関数だったのですね。自然は全てアナログ。あたり前の事を再認識。これが最大の発見。

・・という事で、まだ思考途中です。まとまりそうにないです。今何ができるのか?面白いのか?を考えている訳です。

とそんなこんなの日々で少し興味深いエントリーをまた見つけてしまいました。
WEB2.0に関する混沌・・更にグーグル村上社長「2009年には“人類の知”がすべて検索可能に」

今日はこのへんで止めておきます。。