ロストジェネレーション?

社会って・・と自分に突っ込みつつ、社会。年の節目もあってか、雑誌等での90年代特集、あるいは00年代特集(ゼロ年代という読み方がどうやらコンセンサス取られた気配)が目立つ。また、朝日新聞で正月に連載された「ロストジェネレーション」という記事が少し物議をかもし出している模様。25歳〜35歳のいわゆる「失われた10年」時代に社会に出た世代をアメリカの大恐慌時代の作家(ヘミングウェイとか)になぞらえていっているようです。自分はその記事読んでないので詳細は定かではないですが。さて、世代でいくと自分もど真ん中なんですが、確かに振り返ると以下な感じです。

ベルリンの壁崩壊(89年):中3
ソ連崩壊(91年)、バブル崩壊:高2
オウム、阪神大震災(95):大2
山一證券営業停止(97):社会人1年目
911(01)
中田引退、ライブドアショック(06)

自分の場合、中2で実家の工場が倒産したのが最初の崩壊だったのも少しあるのか、なんとなくいろんなものが壊れていくのは寧ろ「自然」なくらいに思っていた感があり、95年である意味、臨界点。911で再確認というのが、正直な気分ではありました。失われた世代というとなんとなく受身というか、不遇な世代という響きですが、どちらかというと、壊れていく様を徹底的に見て感じていた世代だと思っています。中田引退とライブドアショックを最後に書いたのは、そういう壊れていく事を見ていたロストジェネレーション(といわれる)の人が、「それぞれにとっての旧来的な何か」を壊していく姿勢が、たぶんある種のカウンターカルチャー的な姿勢として、世間的にも同世代中心に一定の共感を得ていたやり方・・も既に終焉した。という事で書いてみました。前にも書いたのですが、やはり90年代は壊れていくと同時に、既存の仕組みを壊していくエネルギーに満ちていた時代だったと思います。音楽でいうと音響系とかはその極み?そしてやはりGoogleに至るネットカルチャー全般の歩み。70年代との類似とか、セカンドサマーオブラブなんて言われ方を90年代がされているようですが、空気は似ているのかもしれないし、大枠ではくり返しなんでしょうが、やはり確実に深化(進化ではありません)はしているはず。

そして今、壊しきった先にあるものって実は少し前の理想だったような記憶もあるのに、いざ目の前に現れてくると意外とつまらない「小さなたくさんのただの集まり」でしかないような、少なくとも情報レベルでは等価になりすぎていて、メジャーもインディーも、プロもアマもその差異はとても判別しずらく、既にオタクやサブカルって言葉すら死語のような気もしてしまうし、とか。そうなってくると反動的に?地域とか靖国とかヒップホップとか、またその一方でLOHASとかに流れるのも、どちらもわからないでもないのですが、いまいちリアルじゃない。
ロストジェネレーションに問題があるとすると、失われたその10年に問題があったのではなく、更地するのに必死になっていざ更地になった今、足元を耕す事もできずに、結局いつまでも「自分探し」になってしまいがちな感性がやっぱり一番恐ろしい。。